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夜の茶会にパウンドケーキ …茶会…
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夜の茶会にパウンドケーキ
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夜の新宿西口。

咲音は三角ビルであった打ち合わせを終え、帰途につこうとしていた。夜の8時30分…腕時計がそう示している。JRの西口改札をくぐる前に、一瞬立ち止まる。僅かな逡巡。そして、時計を見つめ…見えない駅の向こう側を見るかのような仕草。

咲音はくるりと方向転換をすると、西口と東口の連絡通路へと足を向けた。

……夜の新宿。それは咲音の恋人、光流の世界だ。行き交う人々は人工的な明かりに照らされて、浮かれているように見える反面、酷く疲れた表情をしている気がする。せわしないようでいて、だらけた様子で通りを歩き、数多く立ち並ぶ店や建物に吸い込まれていく人の流れに紛れ、咲音は東口へと出た。

正確に言うならば、歌舞伎町方面へと足を向けた。そこは、光流の働く店が存在する一角で、光流がそこで時折客引きをしていることを、咲音は知っていた。……つまりは、あわよくば恋人に会いたいがために、咲音は仕事帰りに歌舞伎町へ寄ったのだ。都合良く会える確率はかなり低いのにもかかわらず。

実は、何回かこうして咲音はこの場所へ来たことがある。光流の働く店も知っていた。所謂ホストクラブ、といった雰囲気のきらびやかな店だ。光流のイメージによく合う店だと、咲音は思っている。客層は、比較的高い方だろう。高級店、とまではいかないが、ちょっとお金に余裕のある女性たちが集まる店だ。

大通りを避けて、コマ劇場の方の比較的ごちゃごちゃした道を通っていく。途中、咲音と光流がよく利用する喫茶店の前を過ぎ、時折店の裏口ばかりが並ぶような裏道をくぐり、区役所通りの方へと抜ける。光流のおかげで咲音は、ここらへんの地理にかなり詳しくなってしまった。

さて、どうしようか。

咲音はキャバクラの客引きをしている、歯がヤニでよごれまくった男を断り、周囲を見渡した。



そして、咲音の探す当人と言えば。

スタイリッシュに決められた、きらびやかな室内。薄暗い光が似合う、柔らかなソファ。複数の客とホストが混ざって楽しめるホールに、二人切りの気分が味わえるボックス席。

店の売り上げトップの男のヘルプについていたのを、新しい新人に任せ、席を立った。シャツの胸ポケットに入れてある煙草を確かめてから、キャッチに行って来ることを告げて店を出る。店を出るなり、煙草を口にくわえて火を付ける。もうすぐここらへんの路上でも煙草が吸えなくなるのだろうかとぼんやり考えながら、駅の方向へ向かってふらりと歩き出した。

煙草を味わいながら、目は周囲へと向けられ、顔を知っている女性が居ないか厳しくチェックを入れる。煙草を一本吸い終わるまでに、クラブなどの客引きがたむろしている一角に出る。煙草の吸い殻を灰皿へ入れると、かわりに携帯電話を取り出す。女性に電話を掛けて誘うのだ。

「もしもし、ミキちゃん? 久しぶり…俺、分かる?……うん、うん。良かった、忘れられてたらどうしようかと思った」

「嬉しいこと言うね、相変わらず俺を喜ばせることがうまいんだから。……、え? ホントだって、携帯の番号消されてるかも、とか心配してたんだぜ……嘘じゃないって。…うん、そうそう」

「ミキちゃん今どうしてる? 会えないからさ、寂しいじゃん…。ほら、俺が寂しがり屋なの、一番知ってるのはミキちゃんだろ」

「うん…うん……会いに来てよ、俺が寂しすぎて死んじゃう前にさ。ん? 明日?」

明日は…本当は、休みの予定だった。日曜月曜と、客が少ないときに休めなかったので、明日の火曜は休むつもりで居たのだ。だが、客が捕まえられるならまぁ良い。木曜日にでも休みを貰おう。

「もちろん、ミキちゃんのためだったらいくらでも予定空けるって。何時?…うん…ん…うん。え、ホント?…そんな早い時間から独り占めしちゃっていいの?」

「どっかで待ち合わせようか、…あ、こないだ良い店見つけたから、そこにしようぜ」

端で聞いていると虚しい一人芝居のようにも聞こえる会話に、耳と声だけ向けて、視線は時折周囲を伺っている。

「……!」

危うく、げっ、と呟きそうになって口元を引き締めると、光流は明日の約束を再確認して電話を切った。

「…何であいつ、んなトコに居るんだ…」

咲音が光流に会いに来たはずなのだが、光流の方が先に咲音を見つけていた。背が高く厚い胸板に程良い肩幅…スレンダーなトレンチコートがよく似合っている。前をあけたままのコートからはさりげなくセンスのいいスーツとネクタイが覗いている。遠目に見ても格好良いのが悔しい。おかげですぐに見つけてしまえた。

「…あれ、俺のネクタイだし…」

全く、と独り言を口の中だけで続ける。どうせ、自分に会いに来たのだろうと自惚れではなく確信し、光流は咲音へ近づいていく。どうせだから、少しからかってやろうと企みながら、見当違いの方向をきょろきょろしている咲音に、背中から声を掛けた。

「おにーさん、可愛い子揃ってますよ、一晩5000ぽっきり!」

キャバクラのキャッチを装って多少を声音を変えれば、五月蠅い夜の町の雑踏では、すぐに知っている声だと判別するのは難しいだろう。

「いらない、人を捜している」

冷たい声。振り向きすらしない。

「そんなこと言わずに、飲み放題も付けますって」

「五月蠅い、要らないと言って…、……!!」

排他的な無愛想。振り向いたときの、剣をもった硬質な眼差し。キャッチだと思っていた相手がまさに探している恋人だと知り、驚いている咲音が、吃驚した顔をのままに身体も向き直り、恋人の名を呼んだ。

「光流」

それで、光流の方の呪縛もとけた。何も、驚いているのは咲音だけではなかったのだ。自分以外に向けられる恋人の態度を知り、光流も吃驚していたのだ。

……俺には、あんな声出さない。

……俺を、あんな目で見ない。

自分が、いかに大切にされているのか、愛されているのか……多少歪んで偏った愛し方であるかもしれなくても。それを、思い知らされた気がした。

……優しい声。

……暖かい瞳。

それが、自分だけに向けられるものだったのだと、今気が付いた。

「…ぁ、あぁ…お前、仕事はどうしたんだよ」

「さっき終わったところだよ。光流に会いたくて、ちょっとこっちまで寄ってきた。住友ビルだったから、ちょっと歩いたけどね」

「ちょうどいいや、飯食おうぜ。良い店知ったんだ」



俺は、こいつに愛されているのと同じくらいに、こいつを愛しているだろうか。

俺は、こいつから貰う優しさや暖かさを、その半分でも返せているだろうか。

愛されているという事実に微睡んで、愛されているだけで満足していないだろうか。

大切にされているだけで、同じだけ相手を大切にしているだろうか。



不意にかき立てられる不安。

それは、言いようのないもどかしさ。

完成したと思っていたパズルの1ピースが、実はそこにあるべきピースではなかったと知ったときのような。はまっていたようで居て、本当ははまっていなかったことを知り、本当にはまるべきピースを無くしてしまったような感覚。

わけもわからないのに、どうしよう、という気持ちばかりがわき上がる。それで咄嗟に、光流は咲音を食事に誘ったのだ。夜はまだ時間がある。少しくらい大丈夫だろう。

光流が咲音を誘ったのは、先ほどの電話で話していた女の子と明日行くつもりの店だった。半地下にある小洒落たダイニングバーで、決してリーズナブルとはいかない客単価だが、光流は気にしなかった。というのも、二人で数万の食事をするのに困るほど貧乏ではなかったし、明日は明日で客が払ってくれるから良いのだ。

「お前、ラム好きだったろ。ここの美味いぜ」

店員に二人、と告げて席へ案内して貰う。前菜に鮮魚のカルパッチョを選び、それに合わせてアペリティフは白ワインを一杯ずつ。海老のすり身をワンタンで包んでスープで仕立てたものが、新しくメニューに加わったというので、それも頼み、メインは先ほど光流が言っていたラム肉をじっくりと煮込んだものに決める。

メニューを流し読みしながら、さらさらとそれらを決めていく光流を眺めて、咲音はどうやってこんな技を身につけたのだろうかと、ぼんやり思う。組み合わせはいつも抜群だし、鮮やかに決定されていくメニューを聞いているのは、心地よくすらある。

すぐに前菜が運ばれてくる。秋の野菜がたっぷりと使われ、その下に覗いているのは白身の鮮魚だった。白ワインも運ばれてきて、軽く乾杯をする。

「仕事がなきゃ、この後あの店で紅茶飲むんだけどなぁ…」

まだ前菜だというのに、食後のことを気にして、光流がぼやく。あの店、とは咲音が途中通ってきた、二人がよく行く喫茶店のことだ。紅茶が抜群に美味しく、シフォンケーキとスフレも美味しい店だ。

「そういえば、良かったの? こんな時間に私と食事なんかして」

「いいのいーの、どうせ今日は客も居ないし、拾えなかったし」

サーバーでカルパッチョを取り皿に分ける。野菜までキレイに二等分されて、取り皿に盛りつけ、分けたものをそれぞれ手元に引き寄せ、本格的に食事がスタートする。前菜が終わる頃にバケットが運ばれてきて、カルパッチョのソースもバケットで味わう。

「うん…光流が褒めるだけあって、なかなかいけるね」

「だろ。……紅茶はイマイチだけどな」

「普通の店に、美味しい紅茶を求めちゃ駄目だよ」

「まぁな」

会話の途中で、それを邪魔しないようにさりげなくスープが運ばれてきた。変わりにカルパッチョの器を下げていく店員に気にせず、会話を続ける。

「そういえば、この間買ったウバ、明日飲もうか。休みだったよね? 私も早く帰ってくるようにするし」

光流の顔に、ありありとしまった、という表情が浮かぶ。相変わらず嘘が下手だと思いながらも、咲音は息を吐き出した。

「……いいよ、また今度にしようか」

「わりぃ」

「気にしないで…そのかわり、光流がいれてね」

咲音は、光流がいれる紅茶を飲みたがる。光流は、咲音が淹れる紅茶が飲みたい(お互い、相手がいれたものを飲みたがっているだけなのだが)のだが、仕方が無く頷いた。

先ほど「俺の愛情表現は足りなさすぎるのでは無いか」疑惑にとりつかれた矢先だったためか、咲音を落胆させてしまっては、これから先が思いやられる。…と、光流は思ったのだ。

「木曜は休むつもりだからさ…木曜でいい?」

「もちろん」

咲音が嬉しそうに頷くのを見て、僅かにホッとした。



その店を出たのは、10時近くになっていた。並んで歩いている最中、どこからか、飛び抜けて高く明るい声がぶつかってきた。

「みっちゃぁあぁ〜〜〜ん」

光流は、一瞬嫌そうな顔をし、咲音はみっちゃん? と首を傾けている。黄色い高い声の持ち主は、ブランドに固めた服で、高いヒールのブーツを歩きにくそうにしながらも、ばたばたと近づいてきた。

「ユカリ、久しぶりじゃん」

光流にユカリと呼ばれた女性は、光流の隣に立ち…しかしそっぽを向いてしまっている咲音を示して、

「久しぶりぃ。ね、ね。誰々? このチョーーー格好良い人!」

かっこいい……光流は思わず口の中で呟いてしまってから、ちらりと咲音を見る。思いっきり不機嫌そうだ。これはヤバイ。…が、ユカリを店に連れて帰れると、嬉しい。

「もー、すぐ分かっちゃったよぉ。二人とも背ぇ高いし! 二人ともかっこいーんだもん」

「ありがと…でも、俺に会いに来てくれたわけじゃないんだ?」

「そんなこと無いよー、みっちゃんに会いに来たら、ちょうど見つけたんだってば」

「ホントに? じゃぁ一緒に遊ぼうか」

「うんうん!…それより、そっちの格好良い人〜〜〜みっちゃん、誤魔化しても駄目なんだからぁ」

女は強い…内心舌打ちしつつも、光流は誤魔化すことを諦めた。

「いくら格好良くたって駄目だって、こいつもう恋人居るんだぜ」

「えーっ、キャン待ちぃ?」

キャン待ちとは、キャンセル待ち…つまり、恋人が居なくなるのを待つことになる、という意味だ。

「あ〜キャン待ちも厳しいかも…こいつんとこ、かなりラブラブだからさ」

「ちぇーっ」

「俺にしときなって、ユカリ…な?」

「うーん、しょうがないなぁ」

しょうがなく付き合ってくれるのでも何でも、お客はお客だ、光流は自分にそう言い聞かせると、営業スマイルを見せた。

「じゃ、ちょっと待ってて」

不機嫌度マックスな咲音の背を押して、ちょっと離れたところまで行く。

「ごめん! この埋め合わせは木曜するからさ」

「…光流。『かなりラブラブ』なんだって?」

「……。…ちっ、違うのかよ。ほらっ、さっさと帰れ! お前女苦手だろ」

途中から小声で一気に捲し立てると、光流は咲音の背中をぐぃっと押して、そのままきびすを返しユカリの元へ戻っていった。

「…あれ? みっちゃん、顔何だか赤いよ?」

「そ、そうか? あいつが、ユカリとお似合いだとかゆーもんだから…」

ごにょごにょ、と先ほどの照れを引きずって言い訳をすると、ユカリは勝手に勘違いをして、誤魔化されてくれた。

だが、誤魔化されてくれない人も居る。…咲音だ。

違うのかよ、という光流の言葉が咲音の頭の中でリフレインしている。咲音はてっきり、あんなの出任せに決まってるだろ、と否定されると思っていたのだ。それを、顔を真っ赤にして、違うのかよ、と睨まれた日には…普段恋人に冷たい態度を取られている咲音が、舞い上がらないはずはない。

思わず顔が緩んでくるのを、抑えるのに苦労しつつ、軽い足取りで家まで帰る。途中、キャバクラやオカマバーのキャッチに何度も呼び止められたが、そんなことでは咲音のニコニコは納まらなかった。

「…ふふ、ラブラブだったんだ」

家に帰ってきても、咲音のニコニコは続く。光流が飼っている猫を無理矢理に抱き上げると、抱きしめて猫の好物である猫缶をあけてやった。そうだ、パウンドケーキを焼こう。光流が好きだと言ってくれたやつを。クルミは無いから、明日買ってこよう。ラム酒で煮込んだレーズンは今から用意すればいい。



明後日、紅茶を飲むときに一緒に食べよう。

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