= = = = = = = = = = = = = = = = = = = = = = = = = =
ポリフォニー …瑞夢:フーガ(3)…
= = = = = = = = = = = = = = = = = = = = = = = = = =


= = = = = = = = = = = = = = = = = = = = = = = = = = = = = = = = = = = = = = = = = = = = = =

瑞夢の章
 インベンション() カノン() フーガ(1 2 3 4
シンフォニア(0 1 2 3 4 5 6 7 8 9 10

前の章…甲斐へ Homeに戻る

= = = = = = = = = = = = = = = = = = = = = = = = = = = = = = = = = = = = = = = = = = = = = =

= = = = = = = = = = = = = = = = = = = = = = = = = = = = = = = = = = = = = = = = = = = = = = = = = = = = = = = = = = = = = = = = = = =

急速に、熱が冷えていく。

今まで自分を支配していた冷酷な気分が、どこかへと逃げ出していく。

「何故…」


何故、と漏れた言葉と一緒に、思わず身体を抱きしめる。がたん、と鞭が床へ落ちる音を聞いて、鞭を取り落とすくらい動揺していることを、小池は自覚した。

自分から貼り付けさせたはずだが、磔台が邪魔だった。もっと、ちゃんと抱きしめたくて、拘束した手を解放する。崩れ落ちてきた身体を、しっかりと、だが優しく受け止める。

「何故…貴方が……」

こんなことを、したくなかったのに…。

しっかりと、だが鞭打った箇所が痛くないように気を遣いつつ…腕の中に抱き込む。貴志の顔を覗き込んだら、どこか安心したような顔で気を失っていった。


何故、何故、何故……。
あんなにも大切にしたかった相手が…腕の中で傷ついている。
こんなにも大事な相手を…自らの手で、手折ってしまった。


慣れない痛みのためだろう、身体が時折痙攣するようにぴくりと動く。あんなにも抱きしめたかった身体が腕の中にあるのに、これ以上傷つけることが恐ろしくて、力を強めることも出来ない。

小池はまずフロントに電話をし、別の部屋を取って貰った。値段を聞いたが、小池の収入を考えれば問題ない料金だったので、SMの部屋と新しく取る部屋と、両方とも先に支払いを済ませてしまった。手続きが済むまで、貴志の身体の手当をした。

フロントから連絡が入り、新しい部屋へ柔らかいシーツで包んだ貴志を運ぶ。広く大きいベッドのある部屋を選んだので、部屋に入るなりそのベッドが目を引いた。柔らかい毛布の上へ、そっと身体を下ろす。SMの部屋を引き払ってから、すぐ戻ってきたが、貴志はまだ気を失ったままだった。

ベッドの中央へ身体を移動させ、羽毛をそっと寒くないように身体へ掛ける。本当は備え付けてあるソファに座って待っていようかと思ったのだが、心配で側を離れがたかった。……否、理由なんか無い…一番近い場所に居たかった。

貴志を見下ろせる位置に収まり、枕をクッションのように背中へあてて、深い息を吐き出す。自分の膝上から視線をずらすと、いつもより白く見える顔に行き当たった。触れたくなって手を伸ばしたが、すぐに引っ込める。

「…ごめんなさい……」

その代わりとでも言うように、小さな謝罪の言葉が小池の口から漏れた。

貴志が気が付いたのは、気を失ってから大分たってからだった。大丈夫かと尋ねたら、貴紀にはもっと酷いことをしているはずだと、切り返されてしまった。

「途中まで、俺だって気づかなかっただろう」

起きあがった貴志が、まるで小池を騙せたことを喜ぶような文脈を口にする。

ということは、貴志は全て分かった上で、貴紀になりすましていたことになる。実を言うと、小池の中で一つの仮説があった。貴志は貴紀に騙されるなり、何らかの形で強制されて、貴紀の振りをしたいたのではないか…という。だが、それは違ったらしい。

「……えぇ。気づいたとき、吃驚しました」

大切な物を傷つけてしまったことに、愕然とした。先ほどは触れられなかった相手に触れたくて手を伸ばしたら、

「すまなかったな…」

掌に貴志の顔が触れてきた。

謝るのなら、何故…こんなことを。

「貴方に、このようなことは、したくなかったのに……」

小池はずっと回り続けている「何故」の答えを求めて、貴志の身体を抱きしめた。……いつもより、少しだけ強く。

「申し訳ありませんでした…傷が残らなければ良いのですけれども…」

「気にするな。俺が自分の意志でやったことだ」

「……。…理由を、聞いても良いですか」

「弟が言っている瑞夢と、俺の知っている瑞夢の差を、知りたかった。どこがどう、何で違うのか…それを、知りたかったんだ」

そんなことのために、と言ったら怒るだろうか。こんなに傷ついてまで、それを知りたがった貴志を、否定することは出来ない。だからその代わりに、

「そうですか」

溜息と一緒に吐き出した。

答えを与えられたのに、どうしても納得できていなかった。綺麗な肌に、傷を付けてしまった…抱きしめている身体に、白地にくっきりと赤黒い後を残したのは、小池自身だった。

「…どっちの瑞夢が、本物なんだ」

問われて、目を開ける。そこでようやく、小池は自分が目を閉じていたことに気が付いた。いつの間にか寄っていた眉間の皺をほぐしながら、ゆっくりと言葉を選ぶ。どう言ったら、貴志は納得するだろうか。

「貴方の考えている、二つの私が、どんなものなのかは分かりませんが…どちらも、両方とも…貴方が知っている全てが、私です。……不思議に思われるかも知れませんが…貴方を大切にしたいという気持ちと、傷つけて壊してしまいたいという気持ちは、私の中でとても似ているのです」

寄り添ってくる貴志の身体を抱きしめながら、どこまで言ってしまって良いのか悩む。そのまま全てを、ストレートな言葉で言い表してしまうことは簡単だ。だが…ありのままをぶつけるには、タイミングが悪すぎる。

「どちらも、目的は一緒で…その目的を達成するための手段が、矛盾して見えるだけなんです」

だから、言葉を濁す。本当は、そんな簡単なことではない。もっと醜い、どろどろした感情が自分の中にあることを、小池は言えなかった。

「目的…聞いても良いか」

……言えない。答えられない。それは、好きな相手に汚い部分を見せたくないという、恋愛の初歩的な感情だった。

「何故、目的を知りたいかを、教えていただけるのでしたら」

だから、逃げた。

……それが、どういう事態へ繋がるのかも知らずに。

「教えられない…その代わり、我が儘を一つ、聞いてくれないか。手段はどっちでもいい…弟にするようにしなくてもいい…」

もぞもぞと動いた貴志が、小池の腕という檻の中から抜け出した。目の前で見ると、鞭の後が痛々しい。眼鏡を外そうとする貴志の指先が、視界の端でぼやけるのを見ながら、貴志の言う「我が儘」の最後が、なんとなく予想できた。

でも、何故…こんなに傷つけられた相手に、そんなことを頼むのだろう…?



貴志は綺麗だった。白い肌にうねるように巻き付く、鞭の傷跡が、艶めかしく動く。身体全体が誘っているように見えた。小池はそれが、好きという感情のためなのか、それとも…生来飼い慣らしている破壊衝動のためなのか、分からなかった。とにかく、止められなかった。本当は少しでも辛い思いをさせるなら、途中でやめるつもりだった。

なのに、結局は抱いてしまった。長い時間を掛けたのは、せめてなるべく負荷を掛けたくなかったからだ。

「ぅ…っ、ず…ぃむ…」

苦しげに喘ぐ声が、耳を擽る。引き込まれるようにして、肌に触れ、口付けた。ずっと、強く抱きしめたいと願っていた身体を、腕の中に閉じこめた。与え尽くすようなSEXを施した。

「――あぁ…っ…!」

手と口を使って、イかせた瞬間の、貴志の声が耳を離れない。いつもより高い、切羽詰まって苦しげで…それでいて快楽に揺れる声。音の尾ひれが余韻となって、ずっと耳元にとどまっているようだった。

「…んぁあっ」

指で初めて前立腺に触れた瞬間、びくりと身体全体が反応し、肌が粟立ち、全身で快感をあらわにしていた。表情はもう快楽に溺れているそれで、いつもの理性を失っていることは明らかだった。付け入るように、そのまま全てを奪った。

「……ぁ、あ…ん――っ!」

催淫剤を含むローションを使った。最初は辛くて、挿入で快感を得られないことが分かっていたからだ。弱いものだから身体に害は無いだろう。少しでも快感で痛みが紛れるように…本来なら痛みに負けてしまう快楽を、引き出すために…。

「瑞夢…」

全てが終わった後、崩れるようにして腕の中で気を失った。呼ばれる名前の響きが酷く甘く聞こえて、何かを錯覚しそうになっていた。力が抜けてしまっている身体を強く抱きしめることくらい、許されるのではないかと。

それが間違いだと、小池が気づいたのは、数ヶ月後のことだった。

1、2ヶ月ならば、これまでも来ないことはあった。それが3ヶ月になり…貴志は店へ姿を現さなかった。もしかしたら、という思いが、少しずつ日を追うごとにじわじわと現実になっていく。3ヶ月目の半ばからは、今日こそは…という思いで一日を過ごした。今日こそは……貴志からの予約が、連絡が入るのではないかと。

毎日の小池の不安をよそに、貴志が店へ連絡すら入れなくなってから4ヶ月目が来た。桜の季節が終わろうとしているのを見ると、寒かったあの日に貴志を抱いたことが嘘のように思えてくる。

抱いた感覚はもう薄れているのに、鞭で打ち付けて傷つけたという実感だけが、掌にこびりついているようだった。



「最近、元気ないわね、貴方。どうしたの?」

「元気がないように見えるのでしょぅか?」

貴志とのきっかけになった女性…加西の接客をしているときに、言われた。加西にまで気づかれてしまうほど、意気がないらしいことを、小池は自覚せざるを得ない。けれども、表面上は苦笑いしてさらりと誤魔化した。

「ええ」

「では、もう歳なのかも知れません…もう今年は37ですから」

「あらやだ、引退なんて考えないでね。私の楽しみがなくなっちゃうじゃない」

「ふふ…まだ引退をするつもりはございませんから、安心なさってください」

そう、引退など出来ない。この店は、貴志と小池を繋ぐ、唯一の接点なのだから。貴志がどこの誰で、どんな素性の者なのかくらいは、店で調べているから小池だって知っているが、だからといって、貴志の自宅や会社に押し掛けていってもどうにもならない。貴志を待つ窓口として、店は小池に必要な物だった。

「そう? でも引退する時は言ってね。引退後の面倒くらい見るわよ」

暗に、結婚を仄めかした言葉だった。だが、小池は穏やかな笑みでやんわりと受け流してしまう…いつものことだ。

「勿体ないお言葉でございます。加西さまにご面倒をおかけするようなことにならないよう、善処致しますけれども、万が一の時は宜しくお願い致しますね」

厚意を受ける気が無いことを示しておきながら、相手の体面を保つことも忘れない。それが仕事なのだから仕方がないが、こういうことを続けていると、何時かエスカレートしていくのは、分かっていた。

実際、最近加西の口からその手の話しを聞くことが多い。今までにも、疑似恋愛だということを…店でのことは幻であり、遊びであることが分からなくなってしまったお客さんの相手を、小池は何人もしてきた。そういうお客さんたちが、自分のトップの座を支えてくれていることが分かっているから、無下にも出来ない。かといって…お付き合いや結婚の申し出を受けるつもりも、小池には無い。

加西を案内して個室に入ると、すり寄せられる加西の身体を抱きながら、ソファへと移動する。酒の準備をしながら、小池は全然違うことを考えていた。……貴志のことだ。目の前には、歳は加算されているが豊満なスタイルの加西が、夏が近づいてきて薄着になった身体を、見せつけてきている。そんなことも、以前はそれなりに好感を持って見ていたはずだった。なのに、今は何も感じなくなっている。

そういうことを、加西に悟られないようにしながら、小池は仕事をこなしていった。なにしろ、この店をやめるわけにはいかない。そのためには、相応の成績を上げる必要がある。小池はもう30台も後半…売り上げが落ちれば、すぐに首を切られるだろう。

貴志がこの店へまた来る日があるのか、分からない…だが、それでも…小池は可能性を残しておきたかった。



以前、数日間会えなかっただけなのに、会いたくてたまらなくなったことがあった。会える日が待ち遠しくて、会えただけで嬉しかったことがあった。

今回は、会えなくなってどれくらいたっているのだろうか…数えたくなくて、小池はいつもカレンダーから目をそらしてしまう。だが、日数を数えようが数えまいが、小池に現実が迫っていた。

1年前貴志に出会った時期が過ぎ、4月が次の月へその座を明け渡し、連休も終わり…

貴志の会員契約更新がある、5月…更新されたのは、貴紀の会員権のみだった。店の会員権は、更新されずに2ヶ月たつと、完全に権利が破棄されてしまう。

その年の夏の初めの頃だった…貴志の会員契約が切れてしまったことを、ボーイが教えてくれたのだ。



小池が私用で店を直前に休んだのは、それが初めてだった。その日は予約が入ってなかったから良かったものの、来るはずだった小池の穴は大きかった。

「あら…ヒサシ、来てないの」

特にその日は、タイミングも悪かった。飛び入りのようにして、小池目当ての客が突然やってきたのだ。その客は久しぶりに迎える、この店の大切な相手だった。オーナーが奥から出てきて、何度も頭を下げて謝っている…そのくらい、この店にとっては大きな存在の客…。

年の頃は20台後半というところだろう、豊かな黒髪を真っ直ぐに腰まで伸ばし、腰で絞る形のプリンセスラインワンピースが彼女と彼女の身体を、これでもかというくらい引き立てている。ノーズリーブの肩から伸びた腕は、全く日に焼けていなくて白かった。

「ヒサシ…あ、瑞夢だったかしら…明日は来るの?」

その予定だと答えるオーナーに、その女性はふぅん、と気のない返事をした。

この女性が来店した旨は、その日のうちに、突然休んだ小池の元に入れられた。

『倉山さまが、本日突然お見えになりました』

電話口に、ボーイの声が聞こえる。

「そう…ですか。タイミングが悪かったですね、迷惑を掛けてしまい、すみません」

『仕方がないですよ、体調悪いんでしょう、瑞夢さん。明日は大丈夫ですよね?』

本当は、行きたくない。本当に…タイミングが悪かった。貴志の会員権が切れた次の日に、彼女が店に来るとは。まるで、見計らったみたいだ。

「はい、行くつもりです」

『お願いしますね、倉山さまも瑞夢さんでないと駄目なんですから。明日は予定が入っていませんでしたが、今日の時点で山倉さまが予約なさいましたので』

「分かりました…」

その後、少しやりとりをして、失礼しますと受話器を置く。

「…ヒトミが…タイミング悪いな…」

独り言が漏れた。開けはなっている窓から、夏の夜のなま暖かい空気が流れ込んでくる。明日は、いっそう暑くなるという予報だ。…だったら、冷菓がいい。思い立つと、ベッドで何もせずに寝ころんでいたのを、立ち上がった。キッチンへ立つと、買い置いてあったオレンジを取りだし、冷蔵庫に残っていた最後の桃を確認する。

ゼラチンをふやかしている間、オレンジは絞って美味しい所だけジュースにする。オレンジ5個分を絞りきると、鍋へ入れた。砂糖もオレンジの甘さを確認し、調節しながら計り入れる。ゼラチンを煮溶かして、溶けきったところで火を止めた。

ガラスコップを用意して、1/3までオレンジゼリーを流し入れる。氷でそれらを冷やし…その間に、桃を角切りにして変色しないようにレモン汁をかけておく。ゼリーが半分固まってきたところで、桃の角切りをゼリーの表面へと置いていく。少し沈んでしまうが、気にせず再び少し冷やす。

熱が取れてきたオレンジゼリーを再び上から2/3のところまで流し入れ…またそれが半分固まったら桃を置き…ゼリーを流し…最後、固まりきる前にグラスから溢れるくらいに桃を盛って、ナパージュ(仕上げ用のゼリーのこと)をかける。ミントを飾ってできあがりだ。

「何で、まだ覚えているんだろう…」

出来上がったゼリーを前に、小池が呟く。明日会う、倉山仁美のためのゼリーだ。……彼女が、好きだった洋菓子の一つ。彼女の好みを覚えたのは、かなり前のことだったはずだ。なのに、何故まだ覚えているのだろうか…自分の記憶をうらやみながら、小池は溜息をつく。

小池がここまでするのには、訳があった。彼女が…倉山ヒトミが店へ来てしまった以上、無視することは出来ないのだ。彼女はあの店のスポンサーの一人であり…そして、小池の元妻だった。

「今更…何を……」

もう、離婚してから何年もたっているのに。

= = = = = = = = = = = = = = = = = = = = = = = = = = = = = = = = = = = = = = = = = = = = = = = = = = = = = = = = = = = = = = = = = = =

そうです。実は瑞夢氏、離婚歴があるのです。こんな、何考えてるのか分からない小池のよーな男を好きだと言ってくださった方が、彼を嫌わないことを祈るばかりです(笑)。

= = = = = = = = = = = = = = = = = = = = = = = = = = = = = = = = = = = = = = = = = = = = = =

瑞夢の章
 インベンション() カノン() フーガ(1 2 3 4
シンフォニア(0 1 2 3 4 5 6 7 8 9 10

前の章…甲斐へ Homeに戻る

= = = = = = = = = = = = = = = = = = = = = = = = = = = = = = = = = = = = = = = = = = = = = =